心に、素直に。

日々の備忘録

寝る前にやるといいこと

 

最近、始めた習慣に

夜眠る前に〝今日の感謝を数える〟というのと

〝自分を労う〟というのをやっている。

 

それは本田晃一さんの影響だけど

 

今までの自分にとって

〝自分自身を労う〟ということは

できなかったなと。

 

自分を大切にすることを意識し始めてから

それだけは出来なかった、というより

したくなかった。

という方が正解かもしれなくて

 

自分のことが嫌いで

鏡を見る度に自分の醜いと感じたりする所からの

スタートだし、

 

いつも気にしてることは〝人からどう見られているか〟だったし

〝私のせいで〟と自分を責めるのが普通だったし

傷付くことが、人が怖かった。

 

それらを変えるには

たくさんの経験と時間が

わたしの場合には必要だったってことにしてる。

 

だから、誰と一緒のいる時間が長いのかは

結構重要で

自分には出来なかったことができるようになったのは

すでにそれが当たり前に出来る人と一緒にいることで

自分にもその当たり前が伝染したと思ってる。

 

団塊の世代に育てられて

その価値観に染まり

悟り世代の価値観に

新しい色を見せられたようなはざまの

 

移住してから確か今年で4回目の冬。

 

自分を大切にすると決めて4年目の冬。

 

 

頑なさで頑張って仕切りにやってきたことも

今の私にはもう出来ない気がする。

何かになる為に一生懸命自分を変えようとしてた。

大切にする為に大切に出来ないことを嘆く悪循環が終わっていく。

 

 

居心地の悪い新しい習慣が

居心地が良くなるまでするなら

それが変化だった。

 

 

☆☆☆

 

 

昨日の晩、「バーニング」という韓国映画を少し見た。

 

村上春樹の「納屋を焼く」という短編小説の映画化で

来年劇場公開するらしい。

 

 

 

全編見れなかったけれど

引き込まれるような美しい映像に

映画が芸術というのを

移住してから忘れていた。

 

私がしがみつくように写真を撮っていた頃

自分の目に沢山の美しいものを焼き付けるように撮っていた。

 

地を這うように、地に塗れるように

本当にそうゆう感覚でやっていた。

撮影の後は足元が汚いとか、葉っぱ塗れとか

地面すれすれで撮ってたからだけど。

 

あの頑なさは、

執念という怨念じゃなかったのかと今は思わせる。

それは自分を縛り上げた黒魔術のよう。

 

でもその想いがどんなものであれ

行動できていたことに涙が出る。

あれはあれで素晴らしい。

 

美し過ぎて、醜すぎて。

 

 

ルームメイトが映画の影響を受けて

キッチンで藍染しながらクイーンを聴いてる。

 

 

最近はめっきり内向きの私だけど

映画、悪く無いね。

 

私が見たいのはどんなものだろうと

今探して見つけたものは

 

過去に起きた

醜さや、恐ろしさや残虐さを感じるものかもしれない。

 

 

それは今あるものが

どれほど特別であるか分かるために

 

例えば、毎日お風呂に浸かれる有り難さ。

 

 

ここに有ることの難しさ=ここに有ることの奇跡  by武田双雲さん

 

 

当たり前がどれほど特別かを知る為に

そして祈りに繋がるような

想いを磨くためのものとして

 

お正月は外を覗き見よう。

 

 

祈る想いのブラッシュアップは

アクセサリーという自分の今してることに

繋がることだから。

 

お守りや呪術というアクセサリーの起源。

 

 

自分が無性に理由なく惹かれるものが

繋がりを持たない

独立した点と点に見えても

 

ずっと前から線で結ばれていた

繋がりを持たせられる想いかもしれない。

 

 

まるで夜空に見えるあの星座のように。

 

 

だから、理由なんて

 

要らないんだろうよ。