心に、素直に。

日々の備忘録

怯える自分を見つけたら

 

最近、自分が感じてる恐怖に

本当にやられてしまう。

 

きっかけは些細な棘のようなもの。

 

誰かのふとした表情や

行為に私が反応する。

 

でもその些細な事が

とても大きな恐怖に繋がる。

 

だから、どうにかしたいとは

思ったりするものの

 

痛みの後に残るのは

案外傷ではなくて、

 

giftだったりする。

 

 

この世の仕組みや宇宙の話や人間の話

見える事と見えない関係の話しなどなど…

 

先日、名古屋まで行って

話しを聞いてきたのだけど

 

〝自分の〟〝自分が〟と

握りしめている事を

 

これから生きていく上で手放せるかどうかは

とても大切なようだ

 

とはその話からは感じていた。

 

 

それで、私が感じてるその恐怖を

私自身では

 

〝私が〟強烈に感じている、と

思って生きてきてるわけだけど

 


でもこの恐怖さえ

私のものではないのかもしれないと

 

強烈な恐怖と引き換えに思うようになった。

 


誰かに対する不信も

嫌悪も

怒りも

疑いも

そして無視することも

 …

 


そうゆうネガティブと言われて

嫌われるものの

裏には必ず恐れがある。

 

 

そうしなければならないほど

恐れてる。

 

 

私が反応して怖がるそれらは

受け入れないという壁や隔たりのように

他者との距離感を遠ざけるけれど

 

実際、そうゆう役割なのだ。


でも、私がそれらネガティブに

強烈なNOや嫌を突き付けていることには

気付いてない。

 

 

私はその時、何をしてるのかと言えば

ただただ自分の中に蔓延した恐怖に精一杯。

 

 


私の恐怖、

私がなんとかしなければ、と。

 

 

恐れていると

外側の相手は強く見える。

 

 

でもそれは、大人でも子供でも関係ない。

物質的な大きさやチカラではないから。

 

 

私が子供に近づけない理由は

強烈だから。

 

 

泣き喚く、怒鳴り散らす

恨みの目、軽蔑の目

 

 

私の出会う子供たちは

穏やかな子が少なかった。

 

近づき難かった。

 

 
でもそこまで私にとっては強く思えたり、

恐れに見えたりするのは

 

私がそれらに触れたくないからだった。

 

そうする事を私は許さない。

 

 

 

でも、子供だからこそ

守ろうとする力は隠さないし

 

どこかではそのまま全部を

受け入れてもらうことを求めてる。

 

でも私には怖すぎて受け止めるどころか

近づく事も出来なかった。

 

 

 

私が恐れているその相手も

恐れているなら

 

私だけが感じてると思ってるこの恐怖は

本当に私のものなのだろうか?

と思うようになった。

 

 

 

強さの裏にある

あなたが隠した恐怖に

もしかしたら私は触れていたのかもしれない。

 


私の恐怖はあなたの恐怖かもしれない。

 

 
それは、私たちかもしれない。

 

 

私のものでも、

あなたのものでも、ないものかもしれない。