心に、素直に。

日々の備忘録

批判で傷付くとき

 

タイトル通りのことが起こっていた。

 

 

傷付きながら、

同時に

 

 

それを認められない怒りがあることを

隠せなかった。

 

 

ショックを受けたし

人間不信にもなるほど

私にとっては衝撃的だったけれど

 

自分が1番苛立っていて、

これから微塵も変えてやらない

と思っていた本音に最初は気付いてなかった。

 

と言うより

自分が相手に損害を与えたなんて

認めてなかった。

 

 

 

批判の内容は

私のふとした行動が相手にとっては

〝差別をされた〟

と捉えられてしまったことだった。

 

 

誰なのかも分からない相手に

そんなことはしてないけれど…

というのが精一杯だけど

 

差別という言葉が出るほど大ごと⁈なのかと

面食らってしまったし、本当に人が怖くなった。

 

でも、私がしたちょっとしたことは

相手にとっては大層なことだった。

 

 

最初は自分に降りかかってきた災難だなんて思っていたけど

 

 

でも、私に起こってくる出来事が

私に依るものだとしたら

私の中にあるものしか現れないのだとしたら…。

 

最近、そんな風に考えることから始めてる。

 

その立ち位置でスタートすると

色々気が付けるから。

 

誰かのせいと自分のせいで

悪者を作ることでは

何も分からずに

ただ痛みのままで終わらせることになりそうだから。

 

 

 

 

その出来事が起こったことで

ショックと同時に

私の中に現れる怒り。

 

誰かからの批判は

これっぽっちも受けたくはなかった私が

最近よく批判されるようになって

 

怒りを許さなかった私が

自分の中に隠れてる小さな怒りの種を探すようになった。

 

 

その中で分かってきたこと。

 

 

その種は

私を蔑ろにする、私を無視すると感じられる場面で

発芽することが分かってきた。

 

 

 

〝大切にしてほしい〟のに

そうされないように見えたら

怒りの花が咲いてくる。

 

 

それで、今回の出来事も

実は相手の怒りは

私の怒りと同じかもしれないと思うようになった。

 

相手にとっては

自分だけが雑に扱われたと思ったことで

差別という言葉で批判をしたけれど

 

 

それは、やっぱり

もっと丁寧に扱ってよ

もっと大切にしてよ

というその声なのかもしれない、と。

 

 

それ相手の声だけど

自分の声でもあるんだ、と。

 

 

そんな批判する相手なんて信じられないと

相手と私を分断する前に

私とその人は同じだった。

  

 

でも、その声にずっと答え続けられないこともあるよ。

 

だって私は差別するんだ。

 

結局、今回の出来事で私が認めたのは

そっちの方だった。

 

 

 

 

 

大切にする前に

大切にできない私の方だった。

そのできない方の私に◎をあげる。

 

こんなに力の抜けることはなかった。

むしろそれでしたって認めるだけで。

 

 

 

これで、本当のごめんなさいがやっと言える。

 

あなたに。

 

そしてろくでもない愛おしい私に。

 

 

 

 

お母さんだってずっと側に居て

あなたの言うことをいつも100%聞いてあげられないんだよ。

ごめん、ごめん。

 

じゃ、行ってくるね。

ちょっとだけ離れるけど

 

大丈夫だから。

 

〇〇ちゃん、いつも愛してるよ。

 

なぜか、そんな風にも聞こえてくる。