心に、素直に。

日々の備忘録

コンプレックスとの付き合い方

 

昨日の晩に見たTVの話し。

 

たまたま付けたTVが「クローズアップ現代+」で

ボディ・ポジティブという聞き慣れない言葉をテーマに番組が始まっていた。

 

www.nhk.or.jp

 

 

コンプレックスについての新しい付き合い方や考え方を

お笑いを仕事にする2人のゲストを交えながら

 

 

今流行ってる〝コンプレックスはアートなり〟と歌う

女性バンドのchaiを取り上げて

 

youtu.be

 

インタビューやchaiに影響を受けた女の子を追いかけていた。

 

 

 

私もコンプレックスの塊で

それに苛まれて生きて来た。

 

ルックスに自信がないというより

それを責めてきた。

自分が憎くてたまらない感じと言えば良いのか。

 

太ることが恐怖で嘔吐してたし

おしゃれでいようとする理由が自分を飾るというより

 

隠す、目を逸らす為

といった方が今じゃしっくりくる気がする。

 

おしゃれというセンスの良さがあれば

元々の土台はなかったことになりそうな気がしてたんだな。

 

そんなことに当時は気が付けるわけもなく。

だからおしゃれに血眼だったかもしれない。

(でも、好きは好きだけど。)

 

ダメだから、せめてそう見られる為に

ファッションを追いかけて、センスの良さを追いかけて

おしゃれそうな何かに必死にしがみつきたかった。

 

辛かったからか、やってきたことが滑稽で

なんだろほんと笑けてくる。

 

薄っぺらくて、しょうもなくて、でもそれに必死で。

それも私だからしょうがなくて(笑

 

仕事は何をしてるだとか

どこで働いてるだとか…

 

せめてそうゆうものだけでも

マシなものを手に入れときたかったんだ。

 

 

あー、そうだったか。と

 

本当に今更だけど

自分の頑張ってきたことの種明かしが

やっとされた感じがして

 

私が追いかけてきた夢や、なりたいものって

本当に自分そのものじゃなくて

なんか良さげな鎧を身に付けたかっただけなんだな、と。

 

 

 

何やっても辛くなるのって

自分のことなおざりにしてるからなんだよ。

 

 

 

 

 

でも、時代のせいなのか

そうゆう全体の流れに助けられて

自分の容姿について昨日の番組を見てたら

 

 

ああ、美しさって自分で決めていいんだ、って

 

 

肩の荷が降りるような

腑に落ちる感覚でやってきた。

 

 

容姿の整った人を見るたび

身体の細い人を見るたび

それとはかけ離れてる自分に悲しかったり

落ち込みがあった。

 

綺麗な人とそうでない人を振り分けてる自分を

見て見ぬ振りして辛くなった。

 

自然に比べて、自分なんて…と気分が沈む所までが

私の普通だった。

 

 

 

あの番組に取り上げられたそれぞれの人たちが

苦しんだり、悩んだ過去があったからきっと

同じように悩んできた自分に

ものすごく自然にその新しい概念がすっと浸透してきた。

 

 

 

番組の中でchaiのファンだという女の子が

自分の顔を題材にして作品を作っていた。

 

彼女自身の顔が作品になっていて

顔の凛描、鼻や口…

 

立体で作られたそれはきっと

自分の顔をなぞるように

作ったんだろうと思った。

 

その作品を横にして

彼女が今は自分を可愛いと思えるようになったと

笑っていたのが印象的だった。

 

 

ああ、本当だと思った。 

 

そして、それが正解だと思った。

 

自分が思うことが正解なんだ。

 

本当にもう、そうゆう時代なんだと。

 

 

 

 

叶姉妹のインスタも

ちょうど同じようなことを言ってた。

 

この人たちの美意識もオリジナル。

 

 

叶姉妹 kanosisters on Instagram: “「 叶姉妹がどんなに露出度高くても、興奮しないのはなぜ?」✨か、それは…💋✨✨ 久しぶりにこのような内容のツイートをお見かけしましたので、 以前からお話しております 私達の”当たり前”の精神性と 大切な叶のポリシーとマナーを 新しい年にあらためて お話ししておきますね。🤗💓…”

 

 

 

 

 

美しさが自分には無関係な

 

ずっと遠くにある誰かのものでしかなかった。

 

でも本当は、物凄く近い自分に関係あるものだった。

 

外に探すのはやめて、見出だして

 

自分がすでに大切にできているものと同じように

 

見つけた一つを大切にすればいい。