心に、素直に。

日々の備忘録

感謝するといいその理由

  

先月だったか

体調不良で食べることができなくなって

 

体調が悪い時にこそ

食べられる有り難さに気付いたりしていた。

 

動けはしたけれど、

食べたくても食べられないジレンマで

心がやさぐれてた。

 

 

食べたいのに食べられないって結構しんどいな、と。

そこで食べられることは

当たり前じゃないことに気付かされた。

 

 

失ってから気付く大切さ。

 

例えば、何かを失う経験をした人は

そこに当たり前に在ることの有り難さに関して

「ありがとう」の深さが違うと思っていて。

 

 

 

感謝に関して、以前どこかで目にした衝撃の記事というのが

私の中にはあって

 

話の内容は曖昧だけど

 

部屋に入るなりその部屋にはあちこちに

「ありがとう」の張り紙がされていて

 

部屋の持ち主はその後、病気で死んでしまった

 

というような話を

どこかで見たことがあった。

 

読んだ当初は怖いと思っていたのだけど

 

その人がしたかった感謝の形が

それだったのかなと

今は思う。

 

 

感謝がしなければならないものだったり

感謝することで見返りを求めたりする自分自身を沢山知ってる。

 

 

でも、その過程があったからこそ

感謝は深くなる。

普通に生きてる時間が地獄のような時間だったから。

 

そうやって過去にたくさんの葛藤や辛い時間を味わった人ほど

普通が貴重で在ることを知ることになる。

 

上っ面の感謝や見返りの感謝や嘘の感謝から始まっても

その質がやがて上がるのは

 

感謝する程に

無いものではなく

すでにここに在るものを意識できるようになるから。

 

 

感謝という行為そのものが

今あるものにフォーカスさせる行為だから。

 

何もしないと

無いものの方にフォーカスが働くのが普通なのが、人(脳)の仕組み。

 

無い方ばかりに気が行くのは当然の事。

 

 

 

 

 

だから、感謝はするほどに良いというのは

本当だと思ってる。

それは意識すること。

 

 

 

〝意識するとは、自分と関わろうとすること〟

 

 

 

そして、

〝本当に感謝しています〟と

素直に言えるほどに

 

幸せを感じる度合いも上がっている。

 

深い感謝を感じられる人ほど

簡単なことに幸福を感じられる。

 

普通の中にどれだけ見つけられるか

どれだけ気付けるか

 

 

どれだけ見失っていて

どれだけ見てないかは

不幸せと不満の世界。

 

 

 

ありがとうと言えるそのタイミングも

今しかない。

 

今日のありがとうと

昨日のありがとうは違うから。

 

それは、本当は今しか言えない。

 

目の前からなくなってしまってからじゃもう遅い。

 

後悔という思いを知っていると

 

今そう言えることに想いの力が加わる。